役不足

「A」打ち切り、久米と日テレに温度差

予想通り,久米宏に「A」は“役不足(本来の,正しい意味で)”だった.

立て板に水トークな久米宏が好きな私でも,放映前に雑誌でこの番組の紹介を読んで,なんじゃそりゃ?って感じだった.メーンキャスターが久米であることを除けば,何がおもしろいのか,さっぱりわからなかった.実際 視聴してみても(おもしろそうだから,ではなく,久米宏が出るからとりあえず一度は観てみるか,と),本当に心底つまんない.2回目までは惰性で観てしまったが,以降はもう視聴打ち切り.

私としては,かつての「TVスクランブル」的なものを期待していた(というより,あれを復活させてほしいくらいだ).しかし,見事に期待は裏切られた.ただ,これは久米宏の問題ではなく,久米宏という人間を活用できなかった制作側の問題だ.こんなひどい企画,よく通したなぁ...日テレ.

やたらうじゃうじゃ出演者が多いのも,企画の貧しさの表れだ.私の友人は,このテの,やたらとコメンテーターの多い番組を「売れない芸能人救済番組」と呼んでいる...うまい!

まぁ,「A」の出演者は必ずしも売れない芸能人ばかりではない...かな?




「A」打ち切り、久米と日テレに温度差
 日本テレビは21日、久米宏キャスター(60)司会の情報バラエティー番組「A」(日曜午後7時58分)を、26日放送分で終了すると発表した。

主因は視聴率低迷だが、現場では久米の「面白くなければ辞める」との姿勢と、じっくり番組を育てたい局側との温度差もあり、最終局面では久米が激怒したという。視聴率王と名門キー局の間に何があったのか。鳴り物入りの番組はなぜ、わずか3カ月で挫折したのか-。異例の騒動の背景を探った。

 【04年12月29日 久米のテレビ復帰が判明】複数の局からオファーがあったが、久米の「週末レギュラーを」の希望に合致した日本テレビに決定。「久米起用は、同局上層部が強く望んだこと」との証言もあり、始めから久米と同局現場のボタンの掛け違いが起きていた可能性もある。

 【05年2月1日 復帰会見】久米が「面白くなければすぐ辞める」と決意表明。実験的な番組に挑戦するため、視聴率低迷も覚悟していたことをうかがわせた。一方、同局現場はバラエティー番組の熟成を得意としてきた。今や視聴率20%も記録する「伊東家の食卓」(火曜午後7時)は、97年10月の開始当初は10%前後だったが、開始1年後に始めた「裏ワザコーナー」を起爆剤に数字を伸ばした。番組への両者の基本的スタンスの違いが、この時点で発芽していた。

 【3月23日 番組制作発表会見】司会でコンビを組む松浦亜弥も同席。ある関係者は、キャスティングや企画内容について「実は久米さんの発言力は一出演者の立場でしかなく、日テレが全権を握っていた」とし、久米の意向が十分反映されないまま、初回放送に突入したことを示唆した。

 【4月17日 初回放送】視聴率は9・3%。94年から10年連続で視聴率3冠を誇った同局は、04年の年間視聴率でフジにトップを譲っていた。久米起用は首位奪回の目玉の1つだっただけに、局内に走った衝撃は大きかったという。

 【5月30日 同局定例会見】氏家斉一郎会長らが「視聴者ニーズに合ってない。6月からテコ入れする」と発言。料理コーナーなど「生の動き」を増やしマイナーチェンジを図った。久米側は「世相を反映した時事ネタを扱う番組に根本から変えるべき」との意向を持ち、局側のテコ入れ効果を疑問視していたという。

 【6月9日 19、26日放送分収録】5日放送分が4・7%と最低を記録し、久米が降板の意思をスタッフに伝える。

 【19日 降板意思漏れ】久米が情報管理の甘さに激怒。局側は続投を説得できなくなったという。番組は7月の編成にも組み込まれていたが、これを機に打ち切りに傾き、20日に決定。スポンサー7社への事情説明などが始まった。局側は社内、広告代理店などにかん口令を出し、系列各局にも詳細は伝えなかった。

 【21日 打ち切り正式発表】出演者の中にはこの日になって知らされた者もいた。次の収録が23日に予定されていたため、突然スケジュールが空いたことで困惑も拡大した。しかし、同局内には「結果的に久米さんも局も、傷が浅いうちに撤退できた」と打ち切りに安どする声も出ている。
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by E_physician | 2005-06-24 22:41 | その他


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